冬の晴れた日、家事を終わらせたままぱんだ🐼は竹林をお散歩中♪ん~、空気がおいしい!竹もおいしい✨おいしさに感激しながら、物思いにふけっていると…。そうそう、おいしいだけじゃない。いまになって考えてみると、あの言葉に救われたなぁ、あのひと言がうれしかったなぁ、って。そんな出来事をあれこれ思い出したのです。
というわけで今回は、ギフテッドが救われた言葉・ひと言について語ります。言われた瞬間うれしかった言葉や、そのときはさして気に留めなかったけれど、あとからじわじわありがたみを感じたひと言まで、一挙大公開!逆に、言われて(伝え聞いて)あ然としたひと言も、少~しだけご紹介します。

全部は頑張らなくていいんだ、と思えた言葉
「教室まで連れてきてくれさえすれば、あとは面倒見ますから」
子ぱんだ1が小学1年生の夏、担任の先生(男性・20代)にかけられた言葉です。当時は大学病院での検査を終えたばかりで、そこの小児科で経過観察が決まっていました。発達障害なのかな?この先どうする!?と、不安でいっぱいだった時期です。「自分がどこにいるのか、わからなくなるときがある」と言う子ぱんだ1。学校までは子どもの足でも15分ですが…。こんなことを訴える子どもを一人で登下校させるのは、さすがに不安だったままぱんだ。だって、登下校中に自分がどこにいるのかわからなくなったら、学校へたどり着けないし、帰りは家まで帰ってこられないですもんね。
どうしよう…。行き帰りは付き添うにしても、学校の中までは見ていられないし。で、状況を担任の先生に相談したときに言われたのが、この言葉だったのです。「教室まで連れてきてくれさえすれば、あとは面倒見ますから。大丈夫ですよ」。もうね、聞いた瞬間ほっとしたのを覚えています。ああ、とりあえず教室まで連れていけばいいんだ、って。全部は頑張らなくていいんだ、って。行き帰りの付き添いだけでいいんだ、って。子ぱんだ2(当時は幼稚園児)もいたのでそれでも大変でしたが、でも、先生の言葉にすごく救われた気がします。しばらくは毎日、登校に付き添い、帰りはピックアップした子ぱんだ2と一緒に迎えに行っていましたね。いまとなってはいい思い出です。
担任の先生からしたら、もうこう言うしかなかったのかもしれません。「自分がどこにいるのか、わからなくなるときがある」なんて訴える子どもの状況にまず驚くでしょうし。不安で押しつぶされそうな保護者(ままぱんだ)をさらに追い詰めるようなことも言えないでしょうし。それで言ってくれた言葉かもしれません。でも、これをままぱんだが忘れられないのには理由があるのです。それは、不安な気持ちに寄り添ってくれたことがなによりうれしかったから。それと、ここまで(教室に連れて行くところまで)頑張ればいいんだ、という区切りがわかったから。入学して半年も経たない頃でしたが、不安だらけのままぱんだを救ってくれた、いま思い出しても感謝しかない言葉です。
不登校、本人の気持ちを推しはかったひと言
「本人もつらいと思いますよ」
中学生になった子ぱんだ1が不登校になり、担任の先生(男性・30代)と両親で面談中に言われたひと言です。これ、当時は「そうですかね~(棒読み)」と返したままぱんだですが。あとになって、じわじわと効いてきたのです(いまも効いてる)。
中学の途中で不登校になり、以降は定期テストも受けられない状況でした。テスト前になると、担任の先生から「今回は受けますか?」と連絡があり、そのたびに「今回も無理そうです…」と答えるしかないままぱんだ。当然暗い気持ちです。不登校も期間が長くなってくると、それこそ出口の見えないトンネルの中にいるような感じでしたから。こんな状況なので、担任の先生から連絡はあっても、こちらから積極的に連絡を取ることはありませんでした。それでも、面談に呼ばれれば行かないわけにはいかず。今回は高校進学についてかな…と暗い気持ちのまま面談に臨みました。
家での様子などを話していくうちに、本人は不登校についてどう思っているのか?という流れになり、そこで言われたのがこのひと言です。「本人もつらいと思いますよ」。まあ、それはそうでしょうね。親もつらいけどね(>_<)。当時は心の中でこう絶叫しながら、「そうですかね~(棒読み)」と返事しました。余裕がなかったんでしょうね、気持ちに。そんなときに言われたので、そのときは特に響かなかったこのひと言。ですが、子ぱんだ1が卒業を控え、通信制の高校へ入学し、なんとかついていけてる、という状況になったとき。絶望の淵から這い上がってきたとき。ああ、そういえばあのとき言われたことって本当だったんだ。そう改めて気づいたのです。担任の先生のほうがわかってくれている部分もあるんだということに。親目線だと、どうしても「ちゃんと育てなきゃ」という思いが先行してしまうんですよね。ままぱんだはそうでした。で、結果、本人の気持ちに本当の意味では気づけないという失態を犯してしまったのです。
卒業のとき、担任の先生からは「なにもできなくて…」と申し訳なさそうに言われました。でも、こちらからすれば感謝の気持ちでいっぱいなのです。苦しい時期に責めることなく見守ってくれた、将来(高校進学)について一緒に考えてくれた、返信がなくても本人にメールを送ってくれた。あるとき、先生が電車の写真だけ送ったら、秒で返信(違う電車の写真、写真だけ)が来たというエピソードは忘れられません(笑)。
番外編:言われてあ然としたひと言
「つらいのは学校じゃなくて、おうちだよね?」
そう担任の先生に言われた、と小学3先生だった子ぱんだ1が話してきたときは仰天しました。いったいどんな意図があって、そんなことを子どもに聞くのか!?「もう生きていたくない」と泣いて大騒ぎになった年だったので、先生もなんとか落ち着かせようと必死だったのかもしれませんが。それにしても!!子ぱんだ1は特に怒る様子も見せず、ひと言、「保身」。ままぱんだは?というと、もはや諦めの境地でしたね。先生に抗議する、理解してもらえるよう話し合う、という選択肢もあるのでしょうが、ままぱんだ家ではそうしませんでした。子ぱんだ1とふたり、目を合わせて無言でうなずき合って終わりました。
話せばわかる、理解してもらえる。理想ではありますが、そうもいかないのが現実。話してみなければわからないのでは?といわれても、そうする前から結果がわかってしまうような出来事でした。子どもたちがお世話になった先生方を見てきて、ままぱんだが思うことは…。それは、性別や年齢は関係ないなということ。その先生の価値観や考え方によるところが大きいですね。合わないな…と少しでも感じたら、その直感はやがて確信に変わります。親子ともに無理に合わせようとせず、淡々と(それでも嫌だけど)やり過ごすに限ります。
このように、ギフテッドを育てる中でも言われてうれしかった言葉というのはあります。定型発達の子ぱんだ2と比べると、苦労は多いし心配ごとも多いし、実際、学校の呼び出しも多かったですが。それでも、うれしかった言葉や思い出を支えに、しあわせに生きていく!とおやつを手に決意をあらたにするままぱんだです。しまった!おやつ(りんご?にんじん?)の誘惑には勝てない…
