失敗のミルフィーユ―― いちばん長く続いた仕事で2年半、多くは1年程度(半年もいかなったケースも)。仕事を中心にみたら、社会に適合できない人代表のような生き方をしてきたままぱんだ🐼。えっへん(笑)!でも、そんなに失敗だらけだったら「もう生きていたくない」ってならない?それでもちょっとだけ楽しそうに生きてるのはなぜ??ままぱんだはなにを楽しいと感じ、どんなことに感動しているの?今回はそんな疑問にお答えします。

下手すぎるけど…、忘れられない思い出に🏓✨
何度思い出しても笑ってしまう、そんな思い出がままぱんだにはあります。
ラリーが3回続くと歓声が上がる卓球大会。「なんだそれ!?」って思いますよね。家族全員ヘタすぎて、試合にならないどころかラリーさえ続かない。そんなダメダメを極めたような卓球大会。家族旅行の宿泊先、そこに卓球台があったのです。まるでドラマに出てくるかのような、お風呂のとなりの部屋に卓球台という。子どもの頃から球技はまるでダメだったままぱんだ。でも、ラリーも続かないのにそれはそれは楽しそうにやってる家族を見たら!!もうね、ハマりました🙌もちろん、ままぱんだも打ち合いなんてできないですよ。なんなら1回もラリーが続かない(笑)。あらぬ方向に飛んでいくピンポン玉を追いかけ、右往左往して汗だくに💦そんなとき、奇跡的に3回続いたんです。「おおおっ!✨」って、部屋が歓声に包まれましたね。そんなこんなでままぱんだ家、時間を忘れて卓球を楽しみました!
うまくできなくても責められることなく、むしろそれを楽しめる雰囲気。少しでもうまくいったら賞賛の嵐👏気の置けない人たちと心から笑いあったできごと。それが、いつ思い出しても笑顔になれる、かけがえのない思い出となるのです。お金をどれだけかけたか、なんて思い出には関係ありません。めちゃくちゃ気を遣う人と豪華な食事をしたとして、楽しめるでしょうか?楽しめないどころか、料理の味さえわからなくなってしまうかもしれません。
いつまでも覚えてる、高校生の厚意に感謝した日🚃
泣きそうなくらい、感動したことも!!
遠い昔のある日、電車に乗ったままぱんだ。おなかの中には子ぱんだ(のちのギフテッド息子)が。外から見ても「大きなおなかを抱えて」という感じだったと思います。電車はだいたい座席が埋まっているけど立っている人はいない、そんな状況でした。すぐに降りられるよう、出口付近に立っていたままぱんだ。2~3駅だしね♪そう思いながら外を眺めていました。
次の駅で乗ってきた高校生4人が、向かい合わせのボックス席に向かっていきました。学校帰りかな、お疲れさま。そんな気持ちでほほえましく見ていたとき、「あっ、ここ座ってください」と声をかけられたのです。4人で座れば楽しくおしゃべりできるだろうに、きっと疲れてるだろうに、本当は座りたいだろうに…。そんな思いが一瞬頭をよぎりました。でも、彼らの思いがうれしくて!厚意に感謝し、座らせてもらうことに。短い時間でしたが、もう胸が熱くなりましたよ。「ありがとうございます」というお礼では伝えきれないほどの感謝の気持ちを抱え、しあわせな気持ちを抱えて電車を降りました。駅からの足取りが軽くなったことはいうまでもありません。席を譲ってもらっただけで?と思われるかもしれませんが、親切にしてもらった経験は忘れられない感動となって心に残り続けます。そして自分の中にも、だれかに親切にしようという気持ちが芽生えるのです。あのときの高校生に幸あれ!ままぱんだはいまもそう願っています。
楽しいことも感動することも、なにげない日常の中に隠れてる🐣
そうなんです。なにも特別なことをしなくても、ふだんの暮らしの中で楽しいことや感動することってたくさんあるんです!でも、せわしない日々に思わずため息をついてしまうのは…。気づいていないだけ。雲一つない澄みわたった空、雨上がりの葉っぱについた雫💧、しゃん!と咲いてる名前も知らない花。意識して見てみると、どれも「わあ~っ!」って声が出そうになるくらいきれいで、もうそれだけで感動します。
せまい道で自転車が来たので、通り過ぎるまで待っていたら、こちらが恐縮するくらいお礼されたり。バスや電車で席を譲ったら、座った人がお礼とともにうれしそうな表情を見せてくれたり。
楽しいことといえば、家での会話でしょうか。ギフテッド息子とままぱんだのやり取りにいたっては…。もはやコント!と他の家族に言われています(笑)。あっ、「家での会話は日常だけど、卓球やったのは旅先でしょ。日常じゃないじゃん」って突っ込まれそうですが。まあ旅先ではあるのですが、ドバイではなく国内(それも近場)なので、日常+アルファとさせていただきます。
いかがでしたか?楽しいことや感動することって、実は日常の中にたくさんあるんですよね。気づかないだけで。ギフテッドは普通以上に感じやすいし傷つきやすいので、ときに大げさと言われてしまうこともあります。でも、その豊かな感受性のおかげで、より楽しくより感動するとも言えます。いい感じ(?)にポンコツだけど、それでも今日もちょっとだけ楽しく生きてるままぱんだ。お正月もいつもの竹が食べられるといいな♪
