もうすぐクリスマス!🎅🎄「食べる寝る遊ぶ、が仕事~♪」と、クリスマス気分に浸りながらのんびりブログを書いているままぱんだ🐼。いまはこんな感じですが、数年前まではパンダらしからぬ生活をしていたのです。仕事に家事に子育て。時間に追われ、擬態に疲れ、身体にも症状が😨。寝たい寝たい!泥のように眠りたい!自然に目覚めるまで寝ていたい。そして仕事も嫌すぎるーーー!!と心の中で絶叫する毎日。そんなままぱんだが、パンダとして本来の姿を取り戻すまでの道のりを、きっかけとなった出来事(事件!?)とあわせてご紹介します。

子どもが不登校に…
遅刻が増え、休む日が増え…。そんな状態で学年末を迎えました。4月、学年が上がり心機一転!かと思いきや、行ったり行かなかったりの日々。一週間くらいは毎朝無理に起こしてみたものの、撃沈…。引っ張っても体が鉛のように重かったことを覚えています。「こっちは眠いのに仕事に行くんだよ。それなのにあなたは寝放題。どういうこと!?」と怒りしかありませんでした。子どもの心配より自分の怒り。気持ちに余裕がなかったんですね、いま思えば。そんなこんなで、夏まえには完全不登校に💦
実は、ままぱんだにも不登校の経験があるのです。高校のとき一週間だけ。本当はもうずっと行きたくなかったのだけど、そうすると卒業できない。だから、単位を落とさないよう、休める日数を緻密に計算して実行しました(笑)。そこまでするなら学校へ行ってた方がラクじゃない?と考えるのは、きっと社会になじめる「ふつう」の人。ギフテッドは「そこまでして」でも休みたいのです。集団生活が苦手すぎるので。
話を元に戻して、子どもの不登校。親の立場からすると、子どもの不登校って動揺するのと同時にすごーく考えさせられることでもあるんです。それは親の価値観。親自身が中学→全日制高校→一般大学(大学院)→就職というルートを経てきているから、それ以外の生き方をなかなか認められない。頭ではわかっていても。自分もそのルートでさんざん生きづらい思いをしてきたのに…。親になると、なぜか社会が決めたルールに当てはめようとしてしまうんですよね。それが幸せに生きていくための(唯一の)方法だと勘ちがいしてしまう。ままぱんだがそうでした。
「学校へ行かないなら、せめて勉強だけは!」と言えば、「勉強したら人生すべてうまくいくの?」と泣きながら訴えてくる子ども。そうだよ、なんてもちろん言えず、膠着状態に。「生きててくれればいい」――そう思えるようになるまで、半年以上かかりましたね。子どもの不登校、それはままぱんだにとって自分の価値観をよい意味で壊してくれた、そして、自分の人生をどう生きるか?という人生における最大命題(迷題!?)を与えてくれた、かけがえのないものです。
単純作業ができない!
時を同じくして、単純作業ができないことが発覚したままぱんだ。当時、大学で実験補助の仕事をしていて、ある日、事務作業を頼まれたのです。それはコピー&ペースト作業。冊子を作るため、ひたすらデータをコピペしていくという内容でした。やり方はわかっているし、作業自体は難しいものではありません。さっそく取りかかってみると…。2~3個ほどやったところで手が止まり、それ以上できなくなってしまったのです。なんかもう、脳が全力でこの作業を拒否しているような、そんな感じでした。同じように繰り返していけばいいだけなのに。ただ量が多いだけなのに。えっ!なんでできないの?こんな単純なことができないって、そんなことある??ふつう、できるよね。自分がおかしいのかな。もう自分が自分で信じられなくなったのと、できない自分に対する恐怖で、頭の中が真っ白になりました。
なにかがおかしい、そう思ってメンタルクリニックを訪ねました。いきさつを話し、知能検査(成人用、WAIS-Ⅳ)を受けることに。そこで判明した事実の数々。4項目の間のばらつきが大きすぎること(ばらつきが大きいほど生きづらさを感じる)、言語理解の高さに比べて処理速度が低すぎること。だから、簡単(単純)なことを速く正確にこなすことが難しい。ちなみに、4項目とは言語理解、知覚推理、ワーキングメモリ、処理速度です。
だから単純作業がこれほどまでにできなかったのか💡と納得しました。思えば、子どもの頃からなにをするにも時間がかかり、「マイペースだね」と事あるごとに言われてきたなぁ。そのマイペースさはいまも健在なんだけど、アイスを食べるのだけは早いです(笑)。溶けちゃうから。というわけで、単調なことをスピード感を持ってこなす仕事は最も向いてないことがわかりました。この「自分に不向きなこと」を把握しておくのは大事だと、ままぱんだは感じています。
子どもと似ている、と言われた過去
顔?親子なんだからそれは似てるでしょ。――ままぱんだもそう思いたかった。本当は、外見じゃない、内面(性格や考え方)のことだってわかっていたけれど…。子どもがギフテッドとわかって発達クリニックに通っていたころ。担当医から「お母さん、お子さんと似てますね」と言われたのです。最初、「それはそうでしょう。親子なんだから。血がつながっていれば似るのは当然」な~んて、顔のことだと思っていたままぱんだ。が、それは当然内面のこと。わかってはいたけれど、認めたくなかったのです。子どもは「先生、わかってるじゃん!」と得意げに言っていましたが。【子どもに似ている=ギフテッド=社会になじめない人】という図式が頭に浮かび、とっさに否定してしまったのです。生きづらさは日々感じているけれど、でもそれでもなんとか適応してる!そう無理に思い込もうとしていました。これまでの自分の価値観が、がらがらと音を立てて崩れていくのが耐えられなかったんだと思います。
しかし、「子どもと似ている」と言われたことがずっと頭から離れなかったのもまた事実。子どもが感じている生きづらさや違和感、それってままぱんだが子ども時代からいままで感じてきたものと同じなのでは?そんなことをあれこれ考えながら、5年という月日が経っていました。
自分を自分で認める、「わたしはこれでいい」
知能検査を受けてみてわかったこと。どうあがいてもチャキチャキ活動することはできない。超がつくほどのマイペース。考えることは得意だけど、無心にこなす単純作業は無理。協調性に欠けるので集団生活も苦手。面白いこと大好き!疑問を持ったら指示にしたがえない。素直じゃない(あまのじゃく)。これだけでも、いかに組織で働くのが難しいかよくわかります。実際、あれっ?と思ってから検査を受けるまでの5年間で、組織で働いてはうまくいかない経験を重ねています(泣)。なんなら、検査を受けたあとも懲りずに失敗を重ねてる…。もう失敗のミルフィーユ🍰
そんなままぱんだにも、ついに「わたしはこれでいい」と自分を自分で認める日がやってきます。それは、ギフテッド特性や生きづらさを抱える人から相談のメールをもらったときのこと。子どもが不登校だったときにはじめたブログ。それを読んでくれた人から感想と相談のメールが来たんです。そのときの感動といったら!!読んでくれた人がいる、もうそれだけでとてもうれしかったのを覚えています✨自分の経験がだれかの役に立っている、そう思ったとき、「わたしはこれでいい、パンダとして生きていく!」と心に決めたのです。失敗だらけのままぱんだでもなんとか生きてるじゃん(それもちょっと楽しそうに♪)、生きててもいいかな。そう思ってもらえたら、ままぱんだ冥利に尽きます。
って、今日も寝食忘れてこれを書いてるままぱんだ。そろそろ、なにか食べようかな(笑)。
