学校は好きじゃない。先生に叱られがちだし、クラスメートとは話が合わないこともあるし。なんなら給食も嫌いだし(幼・小時代のままぱんだ)。じゃあ、家にいれば安心?衣食住は確保されるけれど…。そこで今回は、ギフテッドが安心できる場所について書いていこうと思います。

家で安心したいけれど…
家は100%安心できるところじゃないとダメ?
子ども時代のままぱんだの話。まあ学校よりは安心できました。でも、何でもかんでも親に打ち明けられたかというと、そんなことはなく。だれにも言えない悩みを抱えて、自分の部屋で一人、悶々としていたことを覚えています。ただ聞いてほしいだけなのに、だまって聞いてほしいだけなのに、アドバイスなんていらない、まして「素直じゃないから」とか「子どもらしくないから」なんて言われたくない(でも何て言われるかはわかっている)。
それから、他の子と比べられるのも嫌でしたね。きょうだいがいればきょうだい同士で比べられるかもしれません。が、一人っ子でも比べられます。学校の同学年の子だったり、習い事で一緒の子だったり。親ってなんでこうも比べたがるのだろう??って。もはや人間の性なのかなって思ってました。
そんなこんなで、ままぱんだは高校卒業まで親と暮らしました。いま思うことは、家は学校よりは安心できる場所であればいいのであって、100%じゃなくていいということです。
習い事をしてみる
習い事で、安心できる場所が見つかるケースも!
勉強しなさい!とは言われなかったものの、習い事には厳しかったままぱんだの親。多いときで5つほど習っていました。その中でも、一番練習せず、一番緊張感なく通い、一番長く続いたのが書道。そして、つらいときでも「生きててもいいかな…」と思わせてくれたのが、80代でボウリング大会に出るほど元気なおじいちゃん先生でした。ままぱんだがどれくらい練習しなかったかというと。まず、基本的に家で書いたことはないです。週一のお稽古日、先生のところで書くだけ。大学生で師範の試験も視野に入ってくるようになると、もらうのはお小言ばかりになりましたが。それでも世に言う「猛練習」はしたことがなく、それよりも通うのが楽しみという感じでした。
会話がなくても安心できればOK
相談して、ちゃんと悩みを聞いてもらわなければダメなのか?
このおじいちゃん先生。新聞に載るほど元気でも、耳は遠かったのです。だから、来たときは「こんにちはー!!」、帰るときは「ありがとうございましたー!!」って叫んでました(笑)。でも、お稽古中ずっと叫ぶのは疲れるので、字の指摘はちゃんと聞いて、先生になにか聞かれたら身振り手振りで「会話」。あっ、そういえば。高校生のころ、「こんにちはー!!」って叫んでしばらく待っても気づかれないことがあって(本宅とは別棟)。遅れて出てきた先生に「ままぱんだちゃん!」と声を掛けられたんだけど、すねてたままぱんだは「もういいよっ(怒)」とぷいっと帰ってしまったんです(なんて生徒だ…)。翌週、しれっとお稽古に行きましたけどね(笑)。先生も「おいおい…」って思ったでしょうに、咎めることなく、なにを言うでもなく迎えてくれました。いい思い出♪(先生ごめんなさい)
悩みを相談したこともなければ聞いてもらったこともないけれど、ただそこにいるだけで安心できる、そんな場所でした。4歳から習っていたので、ままぱんだの性格や習性(?)を熟知していたというのはあるかもしれません。否定することなく、ありのままのままぱんだを受け入れてくれた先生には、いまでも感謝しています。
だから、悩みをちゃんと聞いてもらわなければダメ、ということは全然ないと思います。「ここなら擬態しなくていい、否定されないし安心、ほっとする」。そんな場所が見つかれば、「生きててもいいかな…」と思えることでしょう。
いかがでしたか?いいところもダメダメなところもあるけれど、それでも自分には価値がある✨この自己肯定感が、自分の人生を生きていくうえでの原動力になります。でも、こう思えるようになるには安心できる人や場所に出会うことが必要。そのためのヒントを、ままぱんだの経験談を交えてこれからも伝えていけたらな、と思っています。
以上、朝から何も食べてないままぱんだ🐼でした。おなか空いたーーー(笑)!!
