ギフテッドの子どもが小学校へ上がって、悩んだり苦しんだりすること―― その中に先生との関係があります。そもそも日本の「学校」という場所は、同じ年齢の子どもたちが授業を受けたり行事をこなしたりするところ。ギフテッドの特性を持った子どもには合いません。授業はつまらないのに聞かなければならず苦痛、同級生とは話が合わないからグループ活動も苦痛、とくれば学校が楽しいはずがないのです。それでも毎日行かなくてはならない。通うだけで苦痛。
さて、こんなギフテッド。担任の先生の目にはどのように映っているかというと…。授業を真面目に聞かない、みんなと違うことをしている、先生の間違いを指摘する、指示したことをやらない、宿題をやってこない(やったとしても、合格ラインに達しないほど雑)、忘れ物が多い(注意しても減ることは、ない)。はい、許せません(笑)!自分のクラスにこんな子どもがいたら、「もう勘弁して~!!」と思ってしまうのではないでしょうか。中でも特に先生を怒らせてしまうのが、先生の間違いを指摘する、ということ。ギフテッドに悪気はないのですが、ここで高確率で「生意気」というレッテルを貼られます。そして徹底的に嫌われます。先生も人間ですからね。
一方、ギフテッド児はというと…。自分なりの「軸」で生きているだけなのに、それが世間一般とは異なるために「学校」という空間で大いに苦しみます。興味がないことも勉強しなければいけない(ただただ苦痛)、友達とは話が合わない(だから無理やり合わせる)、先生には何かと叱られる(自己肯定感だだ下がり)。親も悩みます。だって、先生から電話がかかってくるのですから。
ギフテッド息子が小3の時でした。新しいクラス、新しい先生になって2か月も経たない頃。「もう生きていたくない…」と泣いて訴えたのです。このとき、私が思ったのは「ああ、ついに来たか」。その半年前には「この子はギフテッドだ」と自分の中で確信していたので、不思議なほど冷静に受け止める自分がいました。当時、ギフテッドについてネットでの情報から論文に至るまで調べまくっていた私。担任の先生に理解してもらおうと、ギフテッドについて書かれた資料を印刷して、お渡ししようと思ったのですが…。すんでのところで思いとどまりました。それは、説明しても理解してもらうのは難しいと考えたからです。
そもそも、学校の先生はなぜ「先生」という職業を選んだのでしょう?さまざまな職業がある中で「先生」になることを選んだ―― それは学校が楽しかった、友達も好きだったからに他なりません。つまり、学校という場所が自分の中で良き思い出となっている。だからこそ「先生」になることを選び、「先生」として子どもたちに教えているのです。自分は学校が楽しかったのに、この子は楽しくないどころか苦痛とまで言う。理屈ではわかっても、体感的に理解するのは難しいのではないでしょうか。
「じゃあ、どうすればいいの?」
ままぱんだは、ギフテッド息子に「説明」することにしました。学校とはこういうところ、先生とは、勉強とは、友達とは。それから、ギフテッドとは?非ギフテッドとの違い、どう振る舞えばトラブルにならずに済むか、などなど。要するに処世術ですね。ギフテッドは物事の本質的な部分を見抜く能力に長けているので、理解は早かったです。ちなみに小学校時代は不登校にならず、何とか通っていた息子。小3で一度人生に絶望してからは、いろいろ悟ったようです。
次回(第4回)のテーマは【きょうだいはどう思ってる?妹から見たギフテッド】。ギフテッド児にきょうだいがいる場合、彼らはどう感じ、何を思っているのでしょうか?ギフテッドに対する思いとは。ままぱんだ(母)と妹(娘)のインタビュー形式でお届けします。お楽しみに!
ギフテッドに関するご相談、受付中(無料です)!一番下までスクロールしていただき、右下の「お問い合わせ」からお願いします。お待ちしております♪